世界的に不安が広がる中で、不安障がいの私が思うこと

皆さんこんばんは、疾風 遥です☆

今日は日中は暖かく、過ごしやすかったのではないでしょうか?

おうちで過ごすことも大事ですが、少しは外に出て、外の空気を吸うだけでも気持ちが変わると思います。(散歩程度では感染リスクは少ないそうです)


私が今回、「不安」についてお話しする前に、分かりやすい動画がありましたので、共有します。




そもそも心の病は、なぜ起こるのか、ということをご視聴頂ければ分かるかと思います。

ゆえに、そのメカニズムについては割愛いたしますね。


私は2018年12月にパニック障がいを発症していますが、まさに動画の通りの流れで、心を病んでいった結果、もう理性などでは抑えきれず、身体が「もうムリだ」ということを教えてくれました。


でも、振返ってみると、仕事のストレスが一番の原因であったことは明白ですが、それだけであれば発症せずに今もまだ鬱々とした気分で働いていたかもしれません。

そう考えられる理由として、私の場合、仕事のストレスは徐々に積もっていくものだったため、これといったキッカケがなければ、爆発するまでのキャパシティはまだ残っていたように感じるからです。(もちろん、最終的には仕事だけでも爆発してしまいますが、まだ先延ばしにできたかも、という意味です。)


私は新卒4年目を迎えており、所属する課に新人も入ってきて、仕事もたくさんあり、ある意味ではやりがいは余るほどありました。上司にケチはつけられるものの、裁量の範囲も大企業と比べればかなり広く、(まぁ上司が責任を取ってくれないとも言えますが)自己判断で仕事を進められるのは、楽しい面もありました。

と、同時に、まだ所詮4年目の私に対し、他の先輩方も色んな業務を頼んでくる状況で、ただでさえ自分の業務でいっぱいのところに、新人の教育も加わり、今思えば負荷は相当なものだったと思います。

そこに、祖父母の死、仲良かった同期の退職、社長からの直接指令業務、友人の入院など、様々な出来事がたった1週間のうちに起こってしまったのです。


しかし、兆候は今思えばたくさんありました。

入社3年目でひどい肺炎を起こして休んだり、4年目に入ってからは、会社から家まで帰った記憶がない(車に乗って帰ってきたはずだけど、気づいたら家)、帰宅した途端電池が切れたようにベッドで3時間も寝てしまったり、最後の2ヶ月くらいは左目が異常に痛かったりと、今考えれば頑張りすぎだよ、と言ってあげたいです。

でも、大学の奨学金の返済もあるし、クルマのローンだってある。生活もしていかなきゃいけないし、自立した社会人となって、親に安心感を与えたい。ここを乗り越えればきっと良い未来が待っている、と信じ込ませていました。


発作1週間前の私は、すでに限界を超えていて、仕事が山ほどあるのは理解できても、優先順位がつけられない、そもそも仕事が手につかず、後輩を誘ってはコーヒーを飲むというダメダメな状態でした。もう上司に盾突く気力もなく、効率も考えられずに言われたことを淡々とこなし、いつもならしないようなミスまでしでかす始末。


そんな時に心配した友人が、夕ごはんに誘ってくれたのでした。

しかし、その友人も基礎疾患のある病弱な方。たまたま私と会う日に蜂窩織炎という病気を発症してしまったのです。10年来の友人であるその人をただ救急に預けて帰るわけにもいかず、付き添いました。友人は結婚していて、奥さんがいるのですが、奥さんも高校の同級生なので旧知の仲。

ざっくりと話せば、友人は集中治療室に入ってしまうほど容態が悪化。生存率40%とまで言われました。


そんなとき、一番私がしっかりしなきゃ!と思っていた時に、とうとうパニック発作が起きてしまいます。

今まで溜めに溜め込んできた「本当に言いたかったこと」が、止めることもできずに叫んでいました。叫びでは治まらず、過呼吸に発展し、手足は痺れ、身体全体が硬直してしまいました。

それでもなお、私は次の出勤日には、出勤しようと考えていたくらいです。

さすがに友人に止められ、出社は諦めましたが、友人に連れていかれた病院で、「パニック障害、抑うつ状態」と診断されます。


でも、今の私は、診断名はどうでもいいと思っています。

大切なことは、自分が「本当に言いたいことを周りに言えているかどうか」


もとからHSP気質なところがあり、周りの顔色や機嫌を伺い、自己犠牲をしてきました。

それは、HSPとして感じたことを相談したところで、「あなたが感じすぎなんじゃないの」と周りから言われることが多く、自分から気持ちを発信することを止めてしまっていたからです。

でも、HSPは繊細さん。感じすぎてなんぼの特性なのです。

気付いてしまうものを気づくな、というわけにもいかず、感じてしまいます。

だからこそ、その優しさに付け込んでくる人もいる、ということを理解しておかないと、知らぬ間に追い込まれてしまうことがあると思います。


休職が1年。退職して半年。

私はこの1年半で、幼少期から封じ込めてきた「本当の気持ち」を取り戻すべく、自分の症状と戦いながら、向き合ってきました。

もちろん、カウンセリングの先生や、両親、友人、など支えてくれた人がいたことは感謝でしかありません。

パニック障害になった当初は、音・光・匂いなどすべてのものに対して敏感になりすぎてしまい、外に出るのも怖かった私が、今では通所先のスタッフさんや利用者さんと交流し、仲を深めたいとまで思えている。

自分で言うのもなんですが、素晴らしいことだと思います。

もちろん、まだ社会復帰できるほど心も身体も回復はしてないのかもしれません。


そして、この世界的なウイルスによる不安にも煽られています。

不安障害の私が伝えたいことは、「自分にとって必要のない情報はあえて拾いに行かないほうが良い」ということです。

例えば、テレビで連日報道される感染者数や、感染場所など、それを知ったところで、私たちに成す術はほとんどないのです。ただ不安を煽られてしまうのであれば、見ない、という選択肢も大事だと思います。

私は音に敏感なのか、テレビでニュースを見ると、アナウンサーの声のトーンや、怖そうな映像を見ることで、自然と不安が高まります。

ゆえに、テレビは好きな番組を録画してみるだけにして、ニュースはネットの記事を流し読み。

必要最低限の情報だけあれば、生きていく上で問題はありません。


何しろ、不安はなぜ不安なのか。

それは、「分からない恐怖」から起きるものだと思います。

・ウイルスが収束するのはいつだろう

・マスクが足りなくなったらどうしよう

・お金がなくなったらどうしよう   など。

先行きが不透明なときに、不安は煽られるのです。


私は新しい場所が苦手です。でもそれは、どんな場所か知らないから。

私は大人数が苦手です。誰が何を言い出すか分からないし、とある人がある人の発言を良く思ってないのを感じ取ってしまったりするから。

他にもいろいろな苦手なことがありますが、対策も立てられます。

新しい場所に行くときは、MAPであらかじめ確認しておく、とか、会う人を検索しておく、とか。

大人数に関しては、最初から少数でないと参加できないことを伝えてしまいます。

日々そうして生きていると、周りも分かりはじめて、大人数だから誘わないでおこうとかしてくれたりします。ありがたいです。(基本お話しは好きなので、参加はしたいんですけど、それ以上に疲れてしまうから)


長々と書いてしまいましたが、結局常に不安に煽られて生きてきた私だから言えることがあります。

不安は、見えない恐怖に遭遇したときにおこるもの。でも、それは見えないからどうしようもない。


でも、あぁ今感じている不安は、見えない恐怖がきているからだ、と思えれば、それだけでちょっと落ち着けたりするものです。

また、不安を助長するものを排除することもできるようになります。

そして、怖いものを怖いと感じていることを認めて、だから不安なんだ、とあえて思う。

そうすると、結局不安なことは誰のせいでもないし、なかなか解決できないものだったりします。

だったら、自分が不安になってしまう要素は限りなく取り除いて、少しでも快適に過ごせるように工夫ができれば良いな、と思っています。


HSPじゃなくったって、人によって感度の違いこそあれ、誰だって不安に思うのです。

みんな一緒です。だからこそ、一緒に乗り越えていきましょう。


なんか元から書きたかったこととだいぶズレてしまいましたが、このへんで終わりたいと思います。

読んで頂き、ありがとうございました。


疾風 遥


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