もしあなたの人生が明日、終わるとしたら
こんばんは、疾風 遥です☆彡
暑い日が続いていますね☀
私は暑いのが苦手で、すぐにクラクラしてしまい、
頭痛や食欲不振に陥りやすいので、特に気を付けている時期です。
今日は、1ヶ月半ぶりに美容室に行ってきて、ツヤツヤにしてもらいました♪
無職になっても、美容室だけは同じところへ通っていて、髪も心も癒される空間なので、
節約対象にはせず、施術の1時間を堪能しています(^^)/
そんな明るい話題から、題目の「明日もし人生が終わるとしたら」
に入りたいと思います。(今回は長くなってしまいました)
そんな不吉なこと言わないでよ~、と思った方もいらっしゃれば、
まさに明日死ぬかもしれない人もいれば、
明日死のうかと考えている人もいるかもしれませんね。
通っているセンターで「死とは?」「生きる意味は?」について話したこともあるのですが、私は物心ついたころから、なぜか生死について考えている子でした。
(ゆえに、メンバーさんから「達観している」と言われてしまいました笑)
結論から言えば、今の私は「死ぬために生きている」というふうに考えています。
誤解しないで頂きたいのは、死ぬことが目標ではないことです。
そして、決して「自殺」を肯定しているわけでもありません。(断固、反対です)
では、なぜ「死ぬため」に生きている、と言えるのか。
それは、
死を意識したときにこそ、人生を生きようとする活力が湧いてくるから
です。
いやいや、待って。
今、死にたくてたまらないんです。って人はどうなるんですか??
それは、「生きることができる」から”死にたい”と思うんだと思います。(極論ですが)
実際に、生まれることと、死ぬことは、必ず人間や生物が、全て平等に1回ずつ与えられた運命です。
そもそも「生まれる」ということも定義が難しいですが、私は
自分以外の誰かが、自分の存在に気づいてくれた瞬間が生まれた瞬間だと思います。
例えば、流産してしまう場合、生まれずして死す、という状況なわけですが、
それは、母や父、祖父母や兄弟などに存在を気づかされているからこそ、
悲しい事実として身近な人々の記憶に残るわけです。
(一瞬でも生きたことになると思います)
ゆえに母が妊娠に気づいた瞬間が、もう生命の誕生だと、私は思います。
そして、なぜ流産してしまったのか、という意味については、
命の尊さや、儚さについて、人に教えるべくしてそういう運命を辿ったのだと感じます。
突然ですが、「死」の話に戻ります。
「自殺」というものは、ある意味、贅沢です。
自ら死する、わけですから、個人の自由ではありますが、贅沢です。
私も何度も死にたい、と思ったからこそ言えます。
なぜ贅沢か。
教育と似ていると思います。
日本では”当たり前”に教育を受ける権利があり、親は義務ですらあります。
そう、”当たり前”なのです。
ゆえに、ほとんどの方は、教育を受けるという行為(勉強)が嫌だったりします。
(私は、日本の教育システム自体は嫌いですが、、)
それを生きることに置き換えて考えると、
生きていくことが”当たり前”に感じているからこそ、
生きることが嫌になって、死にたくなる、ということです。
ゆえに、生きていくことが”当たり前”ではない環境の人々は、
自殺率は低く、むしろ”生きたい”と強く願っているように感じます。
もちろん、上を見れば限りがないし、下を見れば限りがありません。
自分の人生をどう生きるか、は生まれ落ちた環境に不可抗力で影響されます。
「不平等だ」と思うかもしれません。
そうです、人生は不平等です。
誰も同じ人生を歩む人はいないのです。
日本は公衆トイレも衛生的で、憲法で生きる権利すら保障されている。
同時に縛られてもいるかもしれませんが…。
遠回りをしましたが、私が言いたいことは、
「明日自分の人生が終わる」と思えば、
明日くらいまでは生きてみよう
って思えませんか?
それが、1週間だったら、どうでしょう? 嫌ですか??
1ヶ月なら、どうですか?
1年なら、10年なら、100年なら、1000年なら。
大きい方から考えているから、辛いのです。
小さい方から考えてみましょう。
今、自分の力ではどうしようもない方もいると思います。
虐待や、いじめを受けている人、様々です。
しかし、それでも人生はあなたのものです。(いじめてくる彼らのものではありません)
今は待つときかもしれませんし、行動するときかもしれません。
辛いけど、ずーっと辛いことはないと思う。
楽しいけど、ずーっと楽しいこともない。
平々凡々な人生なのか、喜怒哀楽の激しい人生なのか。
あなたはそこにいるだけで生きている。
それだけでスゴいことなんです。
ヤケクソになりたければ、なっていい。
八つ当たりしたければ、八つ当たっていい。
逃げたければ、逃げていい。
その先を予想することはできても、予約することができないのが人生です。
死を意識したときこそ、生きる価値や、生きる意義を見出せる強さがあなたにはあります。
死を自ら選ぶのではなく、
いずれ死ぬときは必ずくるので、
それまで生きてみませんか?
あなたのしたいことは、なんですか?
したくないことはなんですか?
全てあなたの自由です。(他人の権利を侵害しない範囲で、です。)
私もウイルスのせいで、いつも以上にこんなことばっかり考えていましたが、
- 明日、大地震が起きるかもしれない。
- 明日、地球が爆発するかもしれない。
- 明日、クルマに轢かれるかもしれない。
- 明日、救ってくれる人が現れるかもしれない。
- 明日、好きな人に出会えるかもしれない。
- 明日、何もないかもしれない。
だからこそ、生きることは辛いけど楽しいのです。
あ、いや、楽しむのも、悲しむのも、自分で決めることができる。
と言ったほうがフラットかもしれません。
不安を煽るような、煽らないような、
変な記事でごめんなさいね。
私なりの生死観でした。
これも今の考えなので、日々変化していきます。
こんな記事を書けている時点で、幸せな環境ですね。
疾風 遥
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