手当切れ、と手帳


こんにちは、疾風 遥です☆彡


なんとなく、心が忙しくて、更新ができていませんでした。

暑いのが苦手なので、色んな事にやる気を失っています笑


7月に傷病手当が切れて、もう障がい発症から、1年半も経ったのか、と感慨にふけっています。

もう1年半も経ってしまった、のか、まだ1年半しか経ってない、のか、

それが分からないような感覚です。


発症当初と比較すれば、かなりこの障がいに寄り添って生きることができているな、と思えますし、もともとの私は”普通の人間”になるべく、自身を押し殺して無理して生きていたのかもしれないとも思います。


そして実は、6月中旬に「障がい者手帳」の申請をしていました。

今週に交付の書類が届いて、名実ともに「障がい者」となりました。


改めて手帳が手元にくると、「私は障がい者なのかぁ」って不思議な気持ちになります。

私は健常者と言われる状態で生きてきて、でも普通にはなれなくて、普通に合わせて必死に合わせて、体力も気力も使い果たして、発作という形で表に出ただけで、私自身は何も変わってないんだけどな、と感じます。


でも、逆に捉えれば、今まで普通の人として当たり前に求められていたことを、「私はそれに対してひどく敏感なんです」とか、今までだったら「でもみんなやってるよ?」で片づけられていたことが、「障がい者」になったことによって社会に容認してもらえるなら、それはそれで本来の私のままで生きやすくなったのかな、とも思います。


もちろん、これから社会から受ける無意識の差別であったり、今までとは異なる視点でモノが見えたり、新しいコミュニティだったり、色んな事が待っているだろうな、と思います。


もともとは手帳無しのグレーゾーンを貫こう、とも思っていたのですが、

そもそも私が障がいを発症してしまったのは、普通という基準を求められるからであって、

それに応えきれないからこそなのでは?、と思ったからです。


そして、就労移行支援のスタッフさんに「お守り的に持っていて、必要がなくなったと思えば返還もできますよ」と言われたのが、なんだかとっても安心しました。


精神障害で手帳は交付してもらいましたが、なんだかもともと弱発達障害的な部分もあるのかな?と感じていたので、色んな意味で「お守り」になります。


そして、後天的に障がい者となったことで、健常者から障がい者になった方へ寄り添えるような人になりたい、と思っています。


健常者がまともで偉くて、障がい者は変でバカ、みたいなイメージを持っている方は大勢いると思いますし、そういったステレオタイプは社会に刷り込まれている部分でもあるので、そういった価値観があること自体は仕方ないと思います。


けれど、昨日まで普通だと思って生きてきたのに自分が障がい者!?、と落胆してしまう人がいるとするならば、その人には、社会のステレオタイプを気にする必要はないんだよ、ということを伝えられる人間になりたいな、と思います。


  • ある意味、同じ人はいないので、みんな障がい者なんですけどね笑

そう言われて怒る人がたくさんいるのは分かっていますが、私は昔からそういう人が”自分が普通だ!”というのであれば、”私は普通じゃなくて良い”、と思って生きてきました。


障がい者の方は、苦しい体験や悲しい体験をたくさんしていると思います。

それこそ先天的に障がいを持っている方々から学ぶことはたくさんあると思います。


障がい者1年目として、色んな個性を認められる人間になりたいなぁ、と思います。


疾風 遥

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